デスピサロ

感情を切ったり貼ったりします

ワールド ワールド ワールド

それなりに混んだ電車に乗り、名古屋の雑踏を徘徊すると、当たり前のことなのだが様々な人とすれ違う。酒に酔って「俺ら同期じゃん?同期なら○○で××じゃなきゃダメっしょ!?ギャハハハ!!」と騒ぎながら夜の繁華街へ消える若手サラリーマン2人組。深夜のファミレスで「男はこういう生き物で、女はそういう生き物だから」と連れの女にドヤ顏で持論を展開する痛い中年。品性のカケラも無い口調で子育てや旦那の愚痴を大きな声で喚き合う、少々頭の足りない女子高生がそのままオバさんになったかのような集団。業界人を気取り、音楽やマスコミ、芸能の裏事情をビール片手にペラペラ喋る加藤鷹もどきと、ひたすら相槌を繰り返す四十路メガネ。ぼくには彼らを「年の取り方が雑な人」と位置づけ、しょーもな!と頭の中で吐き捨てる癖がついてしまっている。

対人恐怖を長年こじらせ、他人の言動を目や耳に入れる余裕など微塵も無く、イヤホンで耳を塞ぎ、視線を常に足元へ向けなければ外出もままならなかった少し前までのぼくには、すれ違う赤の他人の言動が随分と新鮮に感じる。実際にぼくと会った方は分かると思うんですけど、アホみたいに猫背ですよね。人が怖くて怖くて縮こまりたい一心で、それが姿勢となって表れて、これもまた癖になっているんでしょうね。16歳半ばで電車に乗れなくなり、高校3年後期には不登校。卒業に漕ぎ付けるも、進学先は無く浪人。大学入学後もご覧の有様であった。そんなぼくが人目をあまり気にしなくなり、イヤホンが無くても人混みを出歩けるようになったのは非常に前向きな変化だと思っている。しかし未だ課題は多い。

先に挙げたように、ぼくは人の「嫌な部分」ばかりに目をつけ、記憶してしまう悪癖がある。すれ違う人の中にも礼節やマナーを弁えた方は沢山いるだろうし、心がホッコリするような場面だって、きっとそこかしこにありふれているだろう。だが、ぼくはそれに気づけていない。他人の言動だけではなく、自分の経験だってそうだ。自分が経験した「素敵なこと、嬉しかったこと」よりも「辛かったこと、傷ついたこと、嫌だったこと」の記憶が強く刷り込まれすぎている自覚がある。負の感情をいつまでも引きずり、思考を掻き回されている。相変わらず負け犬根性全開である。素敵な場面に出くわすことや嬉しい経験をすることなんか、嫌な場面に遭遇したりシンドい思いをするよりも量で言えばずっと少ないのかも知れない。けれど、目を向けて記憶に留めるなら圧倒的に前者の方が良いし、前向きな視点から思考をする癖をつけた方が、嫌な経験に対しても腹が立つ、傷つく、悔しい、トラウマで終わらせることなく、財産として捉えて頭を切り替えることだって出来るハズである。とりあえず、当面の目標はそこかな。

現在就職活動中なんですけど、嫌なことや腹立たしいことが立て続けにあったので頭を冷やす意味で書きました。糸の切れた凧のような危なっかしいメンタルで生活は続いていきます。